イベント報告

« 2009年12月 | メイン | 2010年3月 »

2010年1月

2010年1月16日 (土)

神奈川 「民家の学校10周年 そしてこれから…」

会場=神奈川県横浜市
期日=2009年11月1日(日)
Photo_6 Photo_7
横浜市の有形文化財にしていされている飯田邸
 
 2000年春に立ち上げられた民家の学校が、10周年を迎えた。これを記念するイベントが一一月一日に横浜市綱島の飯田家住宅で
開かれた。なにしろ一〇年に一度だけの企画であり、一期生から10期生、講師陣まで総勢八八名が顔を揃える盛大なイベントとなった。
 午前中からの参加者は、綱島・大倉山周辺を散策しつつ地域の歴史的建造物を見てまわり、その後、午後からの参加者と合流して、ご当主のお話を伺いながら飯田邸を見学し、最後は、地元ボランティアの方々お手製の料理をいただきながら、交流を深めた。
 今回のイベントのメイン会場である飯田邸は、JMRA会員の飯田助(すけとも) 知さんが所有されている。総面積2000平米を超える敷地に桁行11間、梁間4間半の寄せ棟茅葺きの主屋と長屋門があり、庭 にはサルスベリ、梅などの木々が立ち、一部濠を残した歴史的にも貴重な建物で、横浜市の有形文化財でもある。
 個人宅であるにもかかわらず、地域の活動やJMRAのイベントにたびたび活用されている。そうしたことからわかるとおり、当主の飯田さんは実に鷹揚な方だ。元高校の校長先生であり、邸内を巡りながら当時の思い出話も飛び出す。「私はね、病気で休んだことがないんです。病気になる前に休んじゃう。『校長が休んで大丈夫なのか』って聞かれると『学校は教頭でもってる』と答えちゃう」。もし教頭時代に同じ質問を受けたらどう答えたのかと問われると「もちろん『学校は校長でもってる』」参加者の笑いを誘っていた。

飯田家は代々綱島の名主を務めてきた。享保年代(1718~.35年)以降、収穫米の配分は「五公五民」が一般的であったが、周辺はたびたび洪水に見舞われため、「三公七民」まで下げるよう幕府にかけ合い、自領の民をため守ったという。そんな柔人々への優しい眼差しが、今に引き継がれているようだ。

 住宅には、住居の機能、財産の機能、それに交流の場としての機能があると思う。この三つめの機能は民家の真骨頂ともいえるものだが、現代の住宅では実現しにくい。飯田家住宅の居心地のよさは、今なおその貴重な機能が健在な点にある。10周年を祝う特別な日を、こうした場所で迎えられたのは、本当に幸せなことだ。

Photo_8 Photo_9

 交流会では、卒業生から活動報告や告知があった。民家の保全・修復などに携わる「民家お助け 隊」が参加を呼びかけほか、卒業生の親御さんの実家で国指定重要文化財である、高知の安岡家住宅の本格修復について協力要請があり、瞬く間に募金が集まった。
卒業生の一人が「共通の好きなことを中心に人々が集まり、仲良くなれるのが民家の学校のいいところ」とおっしゃっていたが、そのとおりだと思う。同じ趣味の友だちができて、さらに興味を深めることができる。しかも社会参加にもつながっている。私の学校に入った理由は、まさにそこにあった。

 イベントの閉会が近づいた頃、参加者に衝撃が走った。この学校の生みの親であり、育ての親でもある大沢匠校長が、今期かぎりで退任すると発表したのだ。続いて新校長が登場すると、さらにどよめきが起こった。引き継ぐのは、30歳以上若い横川超(たける) さん。大沢校長が彼に白羽の矢を立てたのは「自分と同じく非常に好奇心が旺盛だから」だそうだ。私もよく知っているが、ぴったりの人選だと思う。つい最近まで、海外へ長い放浪の旅に出ていた彼は、好奇心だけでなく、バイタリティにもあふ
れている。来期からどんな学校になるのか、今から楽しみだ。最後は大沢校長を胴上げして思い出に残る締めくくりとなった。

タイトルのとおり、民家の学校の「これから」に夢をつなぐことができたイベントだったと思う。

(東京都・正会員 大澤憲吾)