外部田(とのべた)の家
建築主が自分の家の裏山で切り倒した材料で造った庇の太く長い丸桁や、同様に裏山の木材で製材した濡れ縁の厚い杉板などが目を引く家。天井には既存の根太天井を残し、仏間なども元の建具を用いることで、できるだけ当初の面影を残すようにしている。
建築主が自分の家の裏山で切り倒した材料で造った庇の太く長い丸桁や、同様に裏山の木材で製材した濡れ縁の厚い杉板などが目を引く家。天井には既存の根太天井を残し、仏間なども元の建具を用いることで、できるだけ当初の面影を残すようにしている。
志摩の英虞湾を望む家。自然の風が楽しめるよう、建物の三面に開放できるガラスの建具を設けた。離れは築130年の数寄屋造りを移築再生。石場立てを用い、釘を一本も使っていない。土壁の復元には藁のかわりにレモングラスを使用した。
子ども達も独立し、これから自分たちの熟成した時を古民家のような住まいで過ごしたいという建築主の要望に応えるべく計画。2階部分の1室を減築して吹き抜けとすることで、圧迫感のないプロポーションのよい空間ができた。ポイントとして古材を渡りあごで十字組に配置した。
全ての材に本物を使うこと、伝統の職人技をいかんなく発揮させること等が建築主の希望。増減築は一切せず、あるがままに逆らわない再生、本来の姿に戻す再生を目指した。子・孫の代まで使用に耐え、数十年後に本当の「侘びた住まい」となる家に生まれかわった。
故郷にある家を、地元の方が集える場所にしたいという思いから再生した民家。厳しい冬を快適に過ごせるように、断熱施工や空調を重視した。また、切妻の建物であることから妻側真壁の雨仕舞い対策をするともに、元来からある民家の雰囲気を壊さないシックなデザインの民家へと再生した。
築150年の農家の古材を活用。玄関を支えていた柱と梁は、新築1階居間の床柱と梁に、また、2階の書斎・子どもの勉強部屋であるスタディールームでは、古い梁を見せて趣のある空間にした。古材を活用することで、通常の新築にはない落ち付きのある空間に仕上がった。
築110年の風格ある民家を再生。狭い生活空間を改善し、来客の導線と家族の導線を分けた。薄暗かった従来の吹き抜け土間は、汚れた壁を明るいジュラク壁し、高く上げた総2階をそのまま吹き抜けとすることで、今では家の中で一番明るく気持ちの落ち着く家族団欒の空間に生まれ変わった。
江戸末期に建てられた大和棟の農家型民家を再生。「不動産信託を活用した古民家再生事業」(民家を賃貸に出し、家賃によって再生を行う制度)として再生をスタートさせた。構造体の傷みは少なかったが、床・鴨居の不陸調整、柱や束の根継や取り換えをし、本来の姿を取り戻した。
将来的な増改築や間取りの変更にも対応しうる設計を心がけ「作り込みすぎない」空間を目指した。また、古い地松の天井板を土間空間の腰板に再利用する等、使えるものは徹底して活かすを実践した。薪ストーブのある土間空間を中心とした遊び心溢れる改修となった。
移築を機会に間取りを変更。水周りを別棟にし、農作業衣のまま浴室へ入れるように改善、食事や休憩もすぐにできるよう別棟勝手口から母屋への導線を確保した。古材も捨てることなくできる限り利用し、環境へ配慮した。また、断熱材と二重サッシで、この地域特有の強風への対策をおこなった。
建築主の要望で、高断熱・高気密の家へ、また、過去に幾度も水害に見舞われたことがあり、高床式の家へと変更。既存建物を1.8mの高さに引上げた。玄関ホールから眺めるリビング吹き抜けは8mの高さ。今まで隠れていた幾重にも重なり合った手斧削りの梁が息を吹き返した。
納屋側の建物では、石積みを生かした再生をおこなった。天窓を取ることによって、明るく開放的な趣味の部屋へと生まれ変わった。2階には寝室と収納を確保した。また、母屋では、キッチン等の水廻りや、内装デザインなどにこだわった。
民家の地方色・しっかりした構造体をそのまま生かし、弱いところを補強する工事とした。再生前は南側が玄関で生活ゾーンが北側にあったが、再生後は玄関を北西に配置し、台所・食堂・茶の間を南側に配することで、明るく快適な空間となった。
もとは農作業のために休憩する場所として使っていた民家。和室はそのままにし、その他の部屋はライフスタイルに合わせ間取りを変更。ご近所の方の集まる場所として、新たに囲炉裏のある部屋をつくった。梁をあらわしにすることで、圧迫感のない開放的な家へと生まれ変わった。
誰も住まなくなって5年が経っていた民家を再生。可能な限り既存材料を再利用することを目指し、しっかりした大黒柱などの構造材や、昔から使用されてきた木製建具も活かした再生をおこなった。建築主自ら床塗装などをおこない、愛着のある建物が完成した。
建築主自らが設計したプランに、解体された民家の古材活用を提案。平屋建ての中心になるリビングに、松の古材の梁を二重梁、三重梁として使うことで、家全体の雰囲気を力強さがあり、落ち付いた、居心地の良い空間として演出した。
都会から来た夫婦が、快適に田舎暮らしができる家。夫婦二人暮らしのため、大きな農業用倉庫を減築しシンプルな空間とした。また、浴室・洗面を居間の近くに配し、水周りを新しくするなど、生活に合わせた改修をおこなった。あらわしを多用し、古材の素晴らしさが実感できる再生になった。
思い切って減築することで生まれる中庭スペースを生かし、内外ともに光と風を取り入れた開放感のある再生をおこなった。とくに、光の入りにくかったキッチンは、天井高の確保と梁や構造体を現しとし、天井の一部を取り払うことで、明るい空間へと生まれ変わった。
日光街道の宿場町である旧幸手宿の入口に位置する江戸末期建造の建物。登録文化財。外装は波板等でくるんでいたものをもとに戻し、瓦は葺き替えを行うなど、できるだけ当初の形を残すように心がけた。2011年11月から喫茶店として使用されている。
1808年に建築された国登録有形文化財。建築当時の状態に再生することを最大の目的とした。扉はすでに無くなっていたため、当時のデータや写真により復元した。基礎にはコンクリートを使用したが、美観を損なわないよう配慮した。
建築主の今までの「エコ」な暮らしを、そのまま再生後も生かせる家。薪焚きの給湯器を設け、一部を床暖房としたり、また、風呂も薪焚きとした。再生するにあたり、すでにある部材をできる限り再利用したが、耐久・耐震性の向上やトップライトや天井の明りとりで明るい空間にするなどの工夫をした。
地元の養蚕型農家を現地再生。長年の間に行われた増築部分・付属部分を解体し、眺望の確保と敷地内通り抜けの利便性を図った。耐震性・断熱性の向上を図るとともに、土間を吹き抜けにして採光・通風を良くし、開放的な空間を目指した。
唐津市玄海町で道路拡張により壊されようとしていた民家を移築した。小屋組み、2階床梁組は腐食部分を取り換え補修をおこない、構造材の9割強既存材を使用した。また、建築資材の大半は土に還る素材となっている。
漬物樽のイメージを取り入れ、お客様が安らげる店舗を目指した。正面入口は古民家の梁に使用されていたものを使い、柱の基礎石は民家解体時に出てきた唐津御影を使用した。飲食店は和小屋あらわしとした。
もと農家のこの民家は、足元以外は痛みが少なく、骨組も頑丈であった。再生補強工事により、さらに100年くらいは保っていける建物となった。また、高断熱仕様と通気機構を採用し冬暖かく夏涼しい環境をめざした。
古民家材を新築住宅に組み込み、現代の古民家の実現を目指した。ほぼすべての材(琵琶湖北部の余呉地方の材)が再構築できたため、本体の木組みを生かす間取りとした。基礎は、御影石の根石とし石場建て足固め。
機密と断熱をなるべくとり、意匠上は古いままの状態を生かすことを重点とした。既存の木製外部建具には外部にアルミサッシを追加、内からの意匠は以前と変わらぬよう配慮をし、古材家具を配置した。
明治20年代初頭の建築と推定され、建築当初の主要な部材や構造、形式を良好にとどめており、区内に現存する数少ない保存状況が良好な伝統的茅葺き屋根の民家建築を昭和初期の姿に復元。練馬区指定有形文化財。
もと養蚕農家であり、工事前の建物は、養蚕の作業空間をより広く確保するために改造が加えられていた。外観は集落の伝統的な形式を残しつつ、内部では近代的で快適な生活を送ることができるよう再生した。
施主が子供時代を過ごした思い出の住まいを再生。使い勝手を向上させ、意匠面にも配慮した改修が施主の要望であった。基本構造を変えることなく、現代的な使い勝手を追求する再生をおこなうことができた。(写真:中村写真工房)
再生可能な民家を探してほしい、との施主の依頼により、舞鶴湾にも近く、素晴らしい眺望をもつこの民家の調査からおこなった。「使えるものは徹底して活かす」というコンセプトが徹底できた再生となった。(写真:中村写真工房)
住まう人が全員明るく、楽しくいられる住まいを目指した。開放感に溢れた空間をつくるため、LDK1Fの天井部分を抜き吹き抜けとした。また、風合いを増した梁・桁・柱をあらわし、意匠面でも魅力的な民家となった。(写真:中村写真工房)
もとは戦後に建てられた、この地域に昔からある間取りの家で、大工をしていた建築主の祖父が建てたもの。増築部分を取り除き、自然素材でつくられた伝統構法の家、光と風がよく通るもとの家を生き返らせた。
施主は2連の蔵をお持ちであった。区画整理事業が実行され、思い入れのある蔵を残したいとの思いから、そのうち1棟の曳家を05年3月にに、2棟目の曳家を6月におこない、その後中央の繋ぎの蔵の一部を再建した。
降雪量が多い地域がら、柱や梁は良質で骨太なケヤキ材が使用され磨きこまれていた。建築当初の原型を再現しながら、生活空間を改修することで、新たな時空間を創りだした。
明治40年開拓農家として建てられた建物。本来のシンプルな田の字型の間取りを復活させ、一部を吹き抜けにすることによって重量感のある梁をあらわし古民家に住まう満足感を得られる設計とした。
岩手内陸地震にも耐える耐震補強工事をおこなった。また、太陽光発電を設置し、蓄熱暖房を使うオール電化住宅へ再生した。天窓より光差し込む明るい家へ、段差をなくした高齢者に優しい建物に仕上がった。
高断熱・高気密だからできる大空間を造り、いままで隠れていた桁・梁をあらわすことができた。また、随所に浮造りされた無垢の秋田杉を使用した。次世代省エネルギー基準を満たす、冬暖かく夏涼しい建物に仕上げた。
施主の希望により、先代の残した母家を曳き家し、通しの丸桁や建具を残し、解体する部分の木材(桁、梁、桜の床材)などを再利用した。広縁・玄関ホールには、随所に秋田杉の根杢を使用し木の香る建物となった。
元の民家を極力そのまま生かし、最小限の改造で、田舎暮らしを楽しめる家を目指した。暗い、寒い、不便という古民家のイメージを払拭し、施主希望の明るくて、暖かく、機能的な住まいとして生まれ変わった。
「耐力壁をデザインする」をコンセプトに、民家の特性をいかしつつ計算結果に基づき荒壁パネルや仕口ダンパーで構造耐力を上げていった。民家本来の姿に戻しながら、長く安心して暮らせる家の実現となった。
もと農家であったこの民家は、明治時代に増築がされ、また、淀川の氾濫での浸水や大震災をも切り抜けてきた。本来の主家のみにもどし、構造的にもしっかりとさせ、あと100年はもつ民家としての再生をおこなった。
次代に引き継ぐことを目的とした、実質的な再生に重点を置いた。増築を重ねてきたために夏場の風通しが悪いなどの問題点があったが、結果的に創建当初に近い間取りに戻し、増築部分を取り払う方向で設計した。
「民家バンク」に登録されていた竜ヶ崎の民家を移築。建物は明治23年に建設された「釜藤」という屋号の商家の主屋であった。商家の雰囲気を残しながら、田園地帯の再生民家としてふさわしい建築を心がけた。
来客に開放できる玄関テラス、本を沢山置いて地域の子どもたちに図書室として開放する玄関土間など、夢のある住宅。構造体を180°回転させ、もともとあったすばらしい大黒柱や差し鴨居が玄関側に来るように設計した。
築130年の民家を、出来るだけ既存の材料を利用して移築再生した。間取りの変更を控えめにし、古民家本来の良さである間取りの自由な変更や、風通しのよい広々とした空間を実現した。
築110年の民家を移築再生した。古民家風にとらわれず、明るく開放的な意匠を心がけた。建主自らが家づくりに参加し、塗装作業や照明デザインなど、こだわりと自由な発想が結実した再生となった。
中越沖地震で被災した築100年の建主の生家を現地再生した。床・壁の補強など、地震に対する耐震性強化に最重点をおいた。また余計な増築部分を撤去し減築をはかり、コンパクトな本来の姿を取り戻す再生となった。
江戸時代からつづく東海道中の休み処を古材利用して再生した。地域性を表す外観と、昭和のはじめにタイムスリップしたような懐かしさを感じらせる空間づくりを工夫。この先も長く旅人の疲れを癒す茶屋として蘇った。
築80年の民家を、基本構造をできるだけ残すかたちで現地再生した。特徴的な小屋組があらわしとなる空間を随所にもうけ、トップライトをつけることで自然光の明るさを取りこみ、迫力ある梁の造形と際立たせている。