外部田(とのべた)の家
建築主が自分の家の裏山で切り倒した材料で造った庇の太く長い丸桁や、同様に裏山の木材で製材した濡れ縁の厚い杉板などが目を引く家。天井には既存の根太天井を残し、仏間なども元の建具を用いることで、できるだけ当初の面影を残すようにしている。
建築主が自分の家の裏山で切り倒した材料で造った庇の太く長い丸桁や、同様に裏山の木材で製材した濡れ縁の厚い杉板などが目を引く家。天井には既存の根太天井を残し、仏間なども元の建具を用いることで、できるだけ当初の面影を残すようにしている。
子ども達も独立し、これから自分たちの熟成した時を古民家のような住まいで過ごしたいという建築主の要望に応えるべく計画。2階部分の1室を減築して吹き抜けとすることで、圧迫感のないプロポーションのよい空間ができた。ポイントとして古材を渡りあごで十字組に配置した。
全ての材に本物を使うこと、伝統の職人技をいかんなく発揮させること等が建築主の希望。増減築は一切せず、あるがままに逆らわない再生、本来の姿に戻す再生を目指した。子・孫の代まで使用に耐え、数十年後に本当の「侘びた住まい」となる家に生まれかわった。
故郷にある家を、地元の方が集える場所にしたいという思いから再生した民家。厳しい冬を快適に過ごせるように、断熱施工や空調を重視した。また、切妻の建物であることから妻側真壁の雨仕舞い対策をするともに、元来からある民家の雰囲気を壊さないシックなデザインの民家へと再生した。
築150年の農家の古材を活用。玄関を支えていた柱と梁は、新築1階居間の床柱と梁に、また、2階の書斎・子どもの勉強部屋であるスタディールームでは、古い梁を見せて趣のある空間にした。古材を活用することで、通常の新築にはない落ち付きのある空間に仕上がった。
民家の地方色・しっかりした構造体をそのまま生かし、弱いところを補強する工事とした。再生前は南側が玄関で生活ゾーンが北側にあったが、再生後は玄関を北西に配置し、台所・食堂・茶の間を南側に配することで、明るく快適な空間となった。
誰も住まなくなって5年が経っていた民家を再生。可能な限り既存材料を再利用することを目指し、しっかりした大黒柱などの構造材や、昔から使用されてきた木製建具も活かした再生をおこなった。建築主自ら床塗装などをおこない、愛着のある建物が完成した。
日光街道の宿場町である旧幸手宿の入口に位置する江戸末期建造の建物。登録文化財。外装は波板等でくるんでいたものをもとに戻し、瓦は葺き替えを行うなど、できるだけ当初の形を残すように心がけた。2011年11月から喫茶店として使用されている。
地元の養蚕型農家を現地再生。長年の間に行われた増築部分・付属部分を解体し、眺望の確保と敷地内通り抜けの利便性を図った。耐震性・断熱性の向上を図るとともに、土間を吹き抜けにして採光・通風を良くし、開放的な空間を目指した。
明治20年代初頭の建築と推定され、建築当初の主要な部材や構造、形式を良好にとどめており、区内に現存する数少ない保存状況が良好な伝統的茅葺き屋根の民家建築を昭和初期の姿に復元。練馬区指定有形文化財。
もと養蚕農家であり、工事前の建物は、養蚕の作業空間をより広く確保するために改造が加えられていた。外観は集落の伝統的な形式を残しつつ、内部では近代的で快適な生活を送ることができるよう再生した。
元の民家を極力そのまま生かし、最小限の改造で、田舎暮らしを楽しめる家を目指した。暗い、寒い、不便という古民家のイメージを払拭し、施主希望の明るくて、暖かく、機能的な住まいとして生まれ変わった。
「民家バンク」に登録されていた竜ヶ崎の民家を移築。建物は明治23年に建設された「釜藤」という屋号の商家の主屋であった。商家の雰囲気を残しながら、田園地帯の再生民家としてふさわしい建築を心がけた。
来客に開放できる玄関テラス、本を沢山置いて地域の子どもたちに図書室として開放する玄関土間など、夢のある住宅。構造体を180°回転させ、もともとあったすばらしい大黒柱や差し鴨居が玄関側に来るように設計した。
中越沖地震で被災した築100年の建主の生家を現地再生した。床・壁の補強など、地震に対する耐震性強化に最重点をおいた。また余計な増築部分を撤去し減築をはかり、コンパクトな本来の姿を取り戻す再生となった。
江戸時代からつづく東海道中の休み処を古材利用して再生した。地域性を表す外観と、昭和のはじめにタイムスリップしたような懐かしさを感じらせる空間づくりを工夫。この先も長く旅人の疲れを癒す茶屋として蘇った。
築200年の観音堂は、甲州民家の集積地・上条集落にあり、集落の景観を形成する重要な役割をもつ建物。再生によりまちづくりの推進に寄与し、また防火や盗難対策を施すなど伝統建築再生の規範を示す工事となった。
先祖代々継承した古民家を解体し古材利用で再生した。囲炉裏や薪ストーブ、ウッドデッキなど家族や仲間が集う空間が随所にある。木の温もりと小さな子供が自由にのびのび暮らせる家を、という建主の希望を実現した。
築100年の養蚕農家を、夫婦二人の里山の暮らしのために現地再生した。思い出の残る家の趣を残しながら、メンテナンスしやすい設備を取り入れるなど、安心して暮らせる工夫、ゲストを迎えやすい間取りの工夫をした。
築200年の民家を、竹林のあるギャラリーとして現地再生し、地域や民家に関心を持つ仲間たちとの交流の場とした。伝統的民家の特徴である地産地消に習い、敷地内で育った樹木や竹を建築材料として積極的に活用した。
築50年の民家の現地再生と、一部江戸時代から続いた浅草の料亭の2階部分を移築再生した。耐震補強に重点をおき、丸太材を多用した癒しの空間と、涼風をよび込む庭の眺めが楽しめる昭和の町屋再生を実現した。
築190年の造り酒屋を、まちの景観づくりへの貢献を視野に現地再生した。白い漆喰壁と、黒い古色塗りの杉板で仕上げた外観のコントラストが美しく、調和と歴史を感じさせる佇まいとなった。
中越沖地震で被害にあった築100年の民家を現地再生した。耐震性を高めることに最大の重点をおいて施工。越後杉など、その土地の風土にあった地場の材料を使用した住まいとなった。
築120年の民家を、この先200年引き継がれることを目標に現地再生した。高断熱高気密でありながらも、木の呼吸を妨げないつくり。換気や熱循環にも配慮した「進化した古民家」を実現した。
耐震補強のための施工を意匠として演出した現地再生。赤ベンガラを塗った巨大な方杖を組み、視覚的にも印象的な大空間をつくり出した。方杖の大胆さと、随所に使用した間竹(バンブー)にちなみ、「蛮風亭」と名付けた。
築130年〜180年の民家で使われていた古材を贅沢に活用した民家。規模・外観を含めて地域の典型的な農家造りをモデルとしながら、オール電化など現代の技術を取り入れた住まいとなった。
都心に建つ歴史あるそば店の現地再生。建設当時の建物の姿を再現し、且つ徹底した耐震補強を施した。先祖代々引継いだ店舗を、この先さらに100年つなぐことを目指した再生となった。
築100年の長野県の民家を移築再生した。耐震性や水廻りの利便性などに配慮しながらも、出来るだけ現状を活かし、建主が子供の頃に住み慣れていた昭和20年代頃の雰囲気を再現した住まいとなった。
築200年の民家を、減築で現地再生した。この地方の伝統的な農家造りの構えを残しつつ、現代の住まい方に対応させた。素材にこだわり、4世代の大家族が健康で安心して暮らせる住まいを実現させた。
築100年の栃木の民家を茅葺き屋根に現地再生した。茅葺きはワークショップで実現。建主が出来る限り自分たちでつくりあげることで、コスト削減を可能にした。手を加えて、少しづつ完成させるのが楽しみな住まいとなった。
新潟の築120年の民家を、若い夫婦の住宅として移築再生した。通風がよく空調に頼らないプラン、且つ、既存の構造材を無理なく利用できるプランを実現させた住まいとなった。
新潟県の築120年の米蔵を、イベント空間として移築再生した。大きな窓やトップライトから注ぐ自然光のもと、世代を超えた人々が、大きな家族のように集う空間となった。
築100年の新潟の民家を”笑いが聞こえ、人の集まる家”をコンセプトに移築再生した。梁組を可能な限り表し、木が持つ自然で柔らかい造形美を活かした。囲炉裏を囲んで人々が集う、温かい住まいとなった。
築120年の養蚕農家を、1階を書庫、2階を居住スペースとして利用する書庫併用住宅として現地再生した。養蚕農家の特徴である屋根の換気窓を活かし、自然光、風通しを考慮した建物となった。
力強い古民家の梁組みを活かした大天井の下に、広いリビング・ダイニングを設けた若い家族のための現地再生。外観は出来るだけ昔の姿に戻し、耐震性能も十分に高めている。
寺社の日本庭園に、都内の料亭の古材を利用し腰掛待合を据えた。古材のほか材料を自然素材で揃え、それらを加工する職人たちとのチームワークが見事に結実した再生となった。